私は15期の卒業で、卒業してもう30年経ちました。あの頃はちょうど2クラスあった機械工学科が「機械工学コース」と「電子機械工学コース」(電子制御工学科の前身)に分かれる頃でしたね。高専の学生さんの気質は今も昔もそんなに変わっていないと思います。よく「昔と比べて今の学生は…」とか言われますけど、そんなことは無いと思います。羽田空港で滑走路を作っているときも多くの学生さんが現場見学で来てくださって、お話しする機会も多かったのですが、大学生と比べても、高専生は礼儀が正しいと思いますよ。
高専で学んだことが社会に出て活かされたことと言えば、強いて言うと「情報工学」の授業でしょうか。当時電子計算機センター(今の情報教育センター)が開設されたばかりで、カードやマークシートでプログラムをつくったことを覚えています。実は私は理数系が嫌いでした。じゃあなんで高専に入ったんだ、と言われそうなものなんですけど(笑) ですから、社会人になって最初の3年間は環境系の部署へ就いたのですが、「こりゃラッキーだな」と思っていました。ですがやっぱり神様は見ているもので、次は構造設計の部署に配属され、さらには次に研究所へ異動となり、そこで「Fortranでプログラムを作って構造解析をする」という仕事に巡り会ってしまいました。ところがここで、在校中は「絶対にこの仕事には就きたくないな」と思い、頭にもほとんど残っていないだろうと思い込んでいた「情報工学」の内容が蘇ってきまして、それがこの仕事の大きな取っかかりになってくれました。
高専で学習している内容を社会でそのまま使えることはあまり無いかもしれません。ですが「そういえばこんなこと勉強したな」程度であっても、高専時代に学んだ授業のキーワードが残っていれば、多くの場面で仕事に対する抵抗を少なくしてくれると思います。
あと、私は結構図書館にいたんですよ。5年生の夏休みには60冊くらい読みました。ただし理系の本ではなく、歴史や社会、哲学などの本が多かったですが(笑)それから同じく4・5年生の頃には、国語の小林計一郎先生と歴史のお話をするのがおもしろくて、先生と旭山城や葛尾城などの山城へ測量をしに行きました。これも授業や理系としての活動ではなく、「歴史がおもしろいな」という興味が長じた活動なんですね。これらは今にして思うととてもおもしろい体験で、今の自分が持つ考え方を育てたと思います。いわゆる「オタク」にはならず、「広く浅く」という感覚を持てたということでしょうか。公務員の仕事は広く浅く、多くのことに関わり、広い視点を要求されますので、そういった意味では学生の頃に培った感覚が活かされているのではと思います。
振り返ると、私の仕事は一つのことを突き詰めるといった仕事ではありませんでした。空港を作ったり、港を作ったり、純粋に構造の研究をしてみたり、道路も作りました。さらに今は「作ったものをどのように使ってもらうか」を考える仕事をしていまして、たとえば最近ではずいぶん普及してきたスマートフォンを使って、港のシステムをコントロールできないかということを考えています。こうなると「作る」ことから180°方向転換した仕事ですよね。とは言っても、それほど違和感なく仕事に入り込むことができました。当然「やらなきゃいけない」という義務感もありますけど、いろんなことにアンテナを張って、いろんなことに興味を持っていれば、新しい仕事に対しても拒むことなく入っていけると思います。
今の学生さんに伝えたいことと言えば、「自分の専門とは違う、他のいろんな分野についても好奇心をもち、学ぶこともいいんじゃないかな」ということです。これによっていわゆる「アンテナが立つ」と言うことでしょうか、様々な分野で起きた出来事に対してピンと感じる、みたいな感覚が身につくと思います。こういう感覚は社会に出てからではなかなか身につけられるものではないので、時間に恵まれる学生のうちになるべくいろんなことに触れて、身につけておくと良いのではと思います。
「非(不ではない)まじめの薦め」。自由と規律の校風の中、少し遠くを眺め最小限の行為を実行(手抜きじゃないよ)
昭和56年度 土木工学科(現・環境都市工学科)卒業。
同年運輸省に入省後、第二港湾建設局、港湾技術研究所、関東地方整備局(建設省)、東京空港整備事務所(国土交通省)を歴任し、現在は国土交通省関東地方整備局港湾空港部にて港湾物流の新しいかたちを模索中。これまでに手がけた業務は、海洋環境の改善、構造設計、耐震・耐荷設計の研究、国道の改築、滑走路の設計・敷設など、多岐にわたる。